小さい時、親からこんなことをよく言われませんでしたか?
「ほら!ダラダラしないの!怠け者なんだから!」
ありますよね(笑)
ダラダラしてしまう理由は、怠けたいわけではなく、そのことに対して熱烈な興味がないからやる気が起きないだけなんですよね。
子供の頃は、そこまで理解できていませんでしたが、大人になった今はそんな風に解釈できるようになりました。
むしろ子供の頃は、親に怒られるたびに、「なんで自分はこんなに怠け者なのだろう。」「なんで言われたことをきちんと出来ないのだろう?」と小さいながら自分を責め立てていましたが、そうではないのです。
ただただ、親が言うやるべきことに対して、興味がなかっただけなのです。
怠惰は、恥ずべき態度だと言われています。
特にこのご時世、誰もが努力をすれば結果出せる時代になりました。ホームレスだった人が、会社の社長になったり、学歴のない人が大きな功績を残したりと、チャンスがありとあらゆるところに転がっている時代です。
そんな風潮の中、もしあなたが成功していないのならば、それはあなたが怠惰であるからと言われてしまいがちです。でも、それって本当でしょうか?
私たちは、やるべきことをやっていない人のことを勝手に「怠惰」と判断します。
例えば、期日までに消費税を払うこと、食器を洗うこと、ゴミ出しをすること、これらは全てやるべきことです。
でもこれらをやらない人のことを、「怠惰」と判断します。その判断の裏には、「やってほしいことをやってくれないから怠惰」という意味が含まれていることにお気づきでしょうか?
あなたにやってほしい事を、あなたがやらないと、人はあなたのことを「怠惰」と決めつけてしまうのです。
冒頭に話した、幼少期の話もそうです。
親は、本当に子供のことを「怠惰」と思っているのではなく、やってほしいことをやらないから「怠惰」だと言うのです。
私たちは部族のような社会の中で生活を暮らしており、やりたくないことをやりながら社会をより良いものにしようとしています。
例えば、PTAや自治会の清掃係などもそうでしょう。
正直言うと、誰もが積極的にPTAをやりたい!なんて思わないはずです。ただ、社会がそれらを必要としています。
その為、私たちは何かしらの補償を与えて、人にやりたくないものをやってもらうのです。
ただ、補償を与えているのに、やってもらいたいことをやってもらえないとき、私たちは彼らのことを「怠惰な人だ」とラベリングしてしまうのです。
さらには、やってもらいたいことをやってもらえなかったときに、私たちは彼らに「怠惰」だと認識させようとするのです。
なので、人は「自分ってなんてだらしない人間なんだろう」と勝手に落ち込んでしまうことがあるのです。
本来あるべき姿は、そうではありません。
やってほしい事をやらないからと言って、彼らをだらしない人間だと決めつけるのはおかしな話です。
つまり、「怠惰」とは人が勝手に作り上げるイメージなのです。
選挙では、自分の足で投票に行き、自分が支持する人に一票を入れますよね。
全てにおいてそうあるべきなのです。
やりたい事をやり、やりたくないことはやらなくていいのです。
では、本当の「怠惰」の意味は?
それは、言葉ではやりたいと言っておきながら、実際にはやらない行動を指します。
本当にやりないなら、もう行動に移しているはずですよね。でも、言っておきながら、行動に移していないと言うことは、ただの「怠惰」です。
「体重減らしたいんだよね。」と言っておきながら、夜食を食べてしまう人っていますよね。
体重を減らさなくてはいけないと分かっていながら、行動に移していないのは、ダイエットをする気がないという表です。
人は、他人を「怠惰」とすぐ判断します。
それは、単純にやってほしいことをやってくれないという不満の表れです。
もしあなたが人に対して「ダラダラしている人だな」と思ってしまうタイプならば、もう一度、自分の心の中を分析してみましょう。
本当に相手のことをだらしない人だと思っていますか?
実際はそうではなく、単純に自分がやってほしいことをやってくれない不満の表ではありませんか?